テストサイト:【YouTube】『旧中山道 板橋宿 歴史探索』が面白い。

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「魅力発信!いたばしナビ」の『旧中山道 板橋宿 歴史探索』が興味深い内容でした!

(出典:以下画像は全てYouTube板橋区公式チャンネル

いたばしナビは板橋区が作っているYoutubeチャンネル。

江戸と東京を結ぶ街道「中山道」。
その第一の宿場町として栄えた「板橋宿」とその周辺地域の歴史を紹介します。

板橋宿が繫栄した背景やその機能、また、地名の由来や地形などについて、区の学芸員と一緒に街を巡りながら学んでいきます。

板橋区公式サイトより

今回は初めて全編・後編にわかれているとことからも気合を感じます。

内容を少しご紹介しますね!

※記事は下に続きます

※記事は下に続きます

ナビゲーター(区学芸員)の吉田さん。
今までも動画に何回か出演されていますね。
区役所からスタートし、宿場町の面影があるという場所へ移動します。
着いたのは「平尾交番」。昔の地図を見てみると…
江戸時代には「平尾」という場所があったんですね!
今ではこの交番の名前だけ残っているみたい。

上宿(板橋本町)方面へ歩いていきます。

旧中山道、板橋宿の入口だった「追分(分岐点)」に到着。
現在の不動通り商店街の入口です。
同じ場所の昭和初めごろの写真。
動画では川越街道と中山道の使い分けについても説明がありました。

昔の地図と照らし合わせてみると、今まで見えていた景色も違ってきます。

※記事は下に続きます

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何気ない通りですが、道の作りが「十字路」ではなく、互い違いになっています。
これにもちゃんと理由があったみたいですよ。
板橋十景にも選ばれている「板橋」に到着。
板橋という名前がいつからあったのか?などにも解説で触れています。
出発点の日本橋からはちょっと近い板橋宿。
当時の役割はどんなものだったでしょうか?
ヒント①この絵に描かれた様子
ヒント②「サカムカエ」と呼ばれていたようですよ。

正解は動画を見て確認してください!

前編はここまで、動画は後編に続きます。

後編は板橋宿のはずれ、「縁切榎」から始まります。

当時は男女の悪縁、禁酒のお祈りに使われていたみたい。
…今も昔も人の悩みってあんまり変わらないんですかね。

続いて新板橋駅方面へ移動します。

※記事は下に続きます

※記事は下に続きます

こちらは、加田藩前田家の下屋敷から見えていたであろう景色。

加賀藩がなぜここに屋敷を構えたのか?どういう目的があったのか?
当時の様子を想像しながら見てみると楽しいかも。

ラストは、当時の下屋敷内にあったといわれる「加賀公園」へ。
探してみると、当時の面影が結構残っています。
小学校の校章にも、加賀藩の家紋の図案が隠れていたとは!
驚きです。
火薬工場の名残なども見ることができ、江戸時代~近代の流れを身近に感じることができるスポットです。

この場所は史跡公園として、グランドオープンも予定されているみたい。

改めて板橋の歴史を振り返ると、ちょっと感慨深さがあります。

板橋にお米屋さんが多い理由、今は暗渠となっている水路についてなど、ちょっとした豆知識がちりばめられていました。

気になる方はぜひ動画で全編を見てみてくださいね!

動画はこちら↓
◆全編

◆後編